「言語教育研究会」 第50回研究会

投稿者: | 2024年3月23日

かなり前ですが、2月4日(日)は、「言語教育研究会(ケネス・グッドマン原書講読会)」の第50回研究会がありました。千葉大学名誉教授の首藤久義先生を囲んで、Kenneth Goodman の『What’s Whole in Whole Language?』を読んでいく研究会です。

ZOOMでの開催。参加者は、9人。新しい参加者は、いませんでした。

最初に、近況報告。首藤先生は、「忙しすぎて、家の片づけもできない。不登校の子どもたちを対象にしたフリースクール、まなびスペースCOCOCARAでの活動も続けている。テレビの取材も受けた」ということでした。

次に、テキストの38ページの第3段落から、第4段落の途中までを読みました。

最初の段落では、「いくつかの象徴を壊す」という見出しで、「従来の読みの指導には、ホールランゲージとは相容れない、いくつかの側面がある」とはじめます。

次の段落では、「レディネス(新しい学習に対して心身の準備ができている状態)」という見出しで、「特別なレディネスのプログラムには、もっともらしい理由が横たわっている。たとえば、ウォッシュボーン(アメリカの教育学者)が、『6歳の精神年齢が、読みの学習の成功には必要』というと、多くの人々は、それを受けいれてしまう」

「同じように、『子どもたちが、小学校にはいるときには、まだ筋肉のコントロールが十分に発達していないので、大人のペンを使って書くことを期待するべきではない』と言われると、そういうものだと思ってしまう。これらの事実からの間違った理由づけは、人間の言語の発達や使用の理解を欠いている」ということ。

まず、「人間の発達段階」について、再考しました。私は、「科学的な研究や経験則からなる発達段階は、大まかな目安にはなるけれど、絶対的なものではない。人間の発達というものは、さまざまな要因の絡んだ複雑なもので、その生起の時期や順序そして内容は、簡単には区分できない」と考えています。グッドマンの考えに、近いです。

次に、「芸術やスポーツの天才、知的能力の高い子どもたちの教育は、どうあるべきか」、考えました。たとえば、バイオリニストの五嶋みどりのように、幼少期から、周囲に才能を認められて、海外に渡り、活躍する人もいます。また、「将棋棋士の藤井聡太は、高校を中退した。ただその分、将棋に没頭できたのがよかったのでは」という見方もあります。

トロントのオルタナティブ・スクールには、数は少なかったですが、ギフテッド(平均より著しく高い知的能力を指す)の子どもたち向けの学校もありました。中国の少年宮(課外活動をおこなう施設)では、体操などのスポーツに秀でた子どもたちが、専門家の指導を受けていました。

私は、ギフテッドの子どもたちを、隔離して、英才教育をおこなうことには、疑問を持っています。(いろいろな子どもたちとともに学び、喧嘩をしたり、協力したりする経験は必要だと思うので)。それと同時に、その才能を伸ばせる機会は、できる限り提供してあげるのがいいだろうとも思っています。ただ、どういう尺度で、ギフテッドの子どもたちを見出すのか、難しいところです。(IQテストが、万能とは思えません)。

首藤先生いはく、「日本の全国学力調査は、子どもたちの能力の1割しかわからないのに、基準とされる。そして、マイナス点にばかり目がいって、評価が学校を殺すことになる」、「不得手を避けて、必要感が生まれると、学びがはじまる」ということでした。

楽しい学びの時間でした。