内木文英先生逝去の報告を、受けました。94歳という年齢なので、気持ちの準備はしてきたつもりですが、なにか心に小さな穴があいたかんじです。
内木先生は、中学校、高等学校の教育に関わり、とくにFM放送を利用した通信制高校、東海大学付属望星高校の教育、そして高校演劇に情熱を傾けられました。東海大学の理事、全国高等学校演劇協議会名誉会長でした。
また、日本児童青少年演劇協会とアシテジ(国際児童青少年舞台芸術協会)日本センターの会長を、長く務められました。著書に、『内木文英戯曲集』、『かつてこの地は海であった』、『私の高校演劇』、『私の高校演劇 第Ⅱ部』などが、あります。
私が内木先生と話すようになったのは、2005年。カナダのモントリオールで開催された、アシテジ世界大会からでした。当時私は、トロント大学の大学院で勉強をしていて、日本センターの会長だった内木先生の通訳を頼まれました。
それから、2008年にオーストラリアのアデレードで開催されたアシテジ世界大会、2011年にデンマークのコペンハーゲンとスウェーデンのマルメで開催されたアシテジ世界大会と、内木先生の通訳を務めました。
2012年に沖縄で開催されたアシテジ芸術家集会、2014年に韓国のソウルで開催されたアシテジアジア会議にも、同行しました。
近くで接すれば接するほど、私は内木先生の人柄に魅かれるようになりました。日本に帰国後、私がアシテジ日本センターのボランティアを志願したのは、内木先生(当時・会長)と石坂慎二さん(事務局長)と仕事をしたかったからです。
内木先生に「よろしく頼む」といわれると、「なにがあってもやり遂げよう」と思ったし、「ありがとう」といわれると、とてもうれしくなりました。
毎年8月に国立劇場で開催される、全国高等学校総合文化祭にも、連れていってもらいました。私が高校演劇のファンになったきっかけです。
食事やお酒も、何回、ご馳走してもらったか、わかりません。「いろいろなところから、お金をもらうんだけど、使いきれないんだよ」といいながら、居酒屋で頼むのは、いつもきまって、「常温の日本酒2合とコロッケ」でした。
内木先生の自宅で、お誕生日をお祝いしたこともあります。内木先生の米寿のお祝いの会を、石坂さんや白石なお子さんと、企画して開催できたのは、よい思い出です。
とくにいろいろ相談をしたわけではなかったですが、私にとって、数少ないメンター(精神的指導者)のひとりでした。
2020年に東京で開催されるアシテジ世界大会で、内木先生のスピーチを通訳するという夢は叶わなかったけれど、たくさんの時間をいっしょに過ごせたことに、感謝します。