「言語教育研究会」 第9回研究会

投稿者: | 2016年7月17日

昨日は、「言語教育研究会(ケネス・グッドマン原書講読会)」の第9回研究会がありました。千葉大学名誉教授の首藤久義先生を囲んで、Kenneth Goodman の『What’s Whole in Whole Language?』を読んでいく研究会です。参加者は6人。

いろいろあって、4か月ぶりの開催です。はじめて参加された方が、1人。相模原のアクティブイマージョン教育の私立小学校で、教えている方でした。

テキストは、16ページを読みました。新しい章、「言語の学習:それはどのようにして起こるか」は、「言語は、生まれつき持っているものではないし、模倣から学ばれるものではない」という、文章からはじまりました。

「模倣から学ぶ場合もあるのでは」と思いながら、読んでいくと、「言語の学習は、社会的および個人的な発明(inventions)の過程である」であると続きます。「人間は、世界とコミュニケーションしようとして、くりかえし、言語を発明していく」ということです。

「発明」という用語は、「さまざまな言語使用の試みをとおして、ことばをいろいろに組み合わせたり、そのルールを再構築したりしていくこと」という意味で使われているらしいと気づいたら、なるほどと思いました。

そして、「両親や兄弟姉妹は、言語を教えたりはしない。彼らは、それに反応することによって、その発達の形成を手助けする」ということでした。

テキストを読む過程で、ペスタロッチの教授法の日本への紹介のされかた、フィンランドの学校の実践なども、共有されました。

このほか、「見たこと作文は、子どもたちにとっては、難しいのでは。(過去だけでなく、現在や未来もいれたほうが、自由で書きやすい)」、「教育の新しい流行を、追う必要があるのか」といった議論も、興味深かったです。

帰宅して、家庭農園をしている参加者の方にいただいた胡瓜をかじりながら、「楽しい学びの時間だったなあ」とふり返りました。