先週の日曜日(9月3日)は、「言語教育研究会(ケネス・グッドマン原書講読会)」の第16回研究会がありました。千葉大学名誉教授の首藤久義先生を囲んで、Kenneth Goodman の『What’s Whole in Whole Language?』を読んでいく研究会です。参加者は10人。
最初に、自己紹介を兼ねて、この夏のふり返りをしたのですが、日本国語教育学会・全国大会の報告や感想の共有もあり、それだけで1時間30分もかかってしまいました。(楽しい時間でしたが)。
また、「読み聞かせは、どうおこなうべきか」という話題で、盛りあがりました。「一般的に、図書館司書の人がおこなう読み聞かせは、淡々としたものが多い。フリーでやっている人たちは、感情的に読んだり、ふりを交えたりもする」ということでした。
首藤先生いはく、「どちらでもいいのでは。それぞれでいい」ということでした。参加者からは、「落語でも、時間や観客にあわせて、足し算(テキストに時事ネタをくわえたりする)、引き算(テキストの一部分を削る)をする。話しかたも変える」という説明もありました。
また、「国語科と家庭科の教員が協同したりして、児童生徒に、自分たちより年齢の低い子どもたちにむけての読み聞かせをさせるという実践は、結構ある」という情報提供もありました。
テキストは、首藤先生の「読むことの授業改革」(千葉大学国語科教育の会 第40回大会 講演資料)を読みました。
「読みの授業で、板書をする先生は、子どもたちを、誘導している。教師の読みを、子どもたちに押しつけている。同じ読者でも、読むたびに読みが変わる。教師の読みも、子どもたちの読みも、変わり続ける」という説明でした。
「僕は、基本、多読と翻作(なんらかの原作をもとにして、表現すること)が、大事だと思う」ということだったので、「拾い読みや速読について、どう思うか。読書家のなかには、最初から最後までの精読を勧める人もいる」と、質問してみました。
首藤先生いはく、「目的に応じて、必要に応じて、読みかたを選べばよい。拾い読みでも、速読でも、精読でも、構わない。それは、授業でも、日常生活でも同じ」ということでした。
それから、この夏のある中学校の読書感想文は、住野よるの『君の膵臓をたべたい』について書いたものが、とても多かったそうです。
楽しい学びの時間でした。