「言語教育研究会」 第49回研究会

投稿者: | 2024年2月3日

かなり前ですが、昨年の12月17日(日)は、「言語教育研究会(ケネス・グッドマン原書講読会)」の第49回研究会がありました。千葉大学名誉教授の首藤久義先生を囲んで、Kenneth Goodman の『What’s Whole in Whole Language?』を読んでいく研究会です。

ZOOMでの開催。参加者は、11人。新しい参加者は、公的機関に勤めている方でした。

最初に、近況報告。首藤先生は、「フリースクールをつくったカウンセラーと会った。お手伝いもしている。また、北海道教育大学の読みの研究会をとおして、アメリカの国語教師、ナンシー・アトウェルの文学教育について興味を持ち、原書を読んでいる」ということでした。

次に、テキストの37ページの第4段落から38ページの第2段落までを読みました。

最初の段落は、「厳しくラベルづけされた子どもたち」。「読み手は、テストや系統的な読みのプログラムで、よくできないと、学力不足とか、識字障害とか、ラベルづけされる。そして、フォニックスや単語のとりたて学習を、やらされる。いちばんの苦しみは、ラベルづけされること」

次の段落は、「読み嫌い」。「多くの読み手は、なんとか耐え、ある程度の読み書きができるようになる。ただ、その過程で、読み書きは本当に必要があるときのみする、楽しくない活動だと考えるようになる。そして、自分で選べるときは、読み書きをしないことを選ぶようになる」

最初の段落では、カナダの小学校の補習授業を思い出しました。トロントの学校では、こどもたちの半数は、海外で生まれ、家庭での使用言語が、公用語(英語やフランス語)でないことも多いです。そういった子どもたちは、授業時間中、ときどき補習クラスにいきます。いろいろ考えましたが、アルファベットさえできない子どもたちを、普通の教室に座らせるより、少人数の補習授業に参加させるほうがいいように思えました。

次に、子どもたちのラベルづけについて、考えました。トロントの大学院にいた頃、クラスメートの教員が、「私の子どもが、小学校のカウンセラーと医師から、ADHD(多動性行動障害)と診断された」といって、泣き出したことがあります。ショックだったのでしょう。

私は、障害児も普通学級で学ばせる、統合教育について、どうするほうがよいかは、わかりません。ケース・バイ・ケースだと思っています。

以前、『みんなの学校』という、特別支援教育の対象となる発達障害がある子も、自分の気持ちをうまくコントロールできない子も、みんな同じ教室で学ぶ、大阪市立大空小学校の1年間を追った、ドキュメンタリー映画を見たことがあります。そのときは、感動しました。

ただ、統合学級の教員は、かなり大変です。また、こどもたちの障害が大きい場合は、少人数指導を受けられる特別支援学級にいるほうが、その子どもたちのためになるのではないかとも思います。難しいです。

首藤先生いはく、「グッドマンは、全体のなかでの部分の指導は、否定していない」、「また、同時異学習であれば、補習授業や治療プログラムの必要がなくなる」、「子どもたちは、絶対評価であろうが相対評価であろうが、評価が低いと苦しむことになる」ということでした。

楽しい学びの時間でした。