「言語教育研究会」 第47回研究会

投稿者: | 2023年8月19日

8月13日(日)は、「言語教育研究会(ケネス・グッドマン原書講読会)」の第47回研究会がありました。千葉大学名誉教授の首藤久義先生を囲んで、Kenneth Goodman の『What’s Whole in Whole Language?』を読んでいく研究会です。

ZOOMでの開催。参加者は、12人。新しい参加者は、埼玉の高校の先生でした。

最初に、近況報告。日本国語教育学会全国大会の報告が、いくつかありました。また、「お盆の行事や伝統は、日本の言語文化のひとつかもしれない」という意見が、複数でました。

「授業は、料理と似ている」という発言もありました。なるほどと思いました。食事は、子どもにも大人にも、必要なものです。ただ、すぐに結果がでるわけではありません。

料理では、旬のものや地産品を中心に、煮たり焼いたり、和食や洋食やイタリアンなどの味付けをしたります。人参が嫌いな子どものためには、すりおろしたりします。(教材研究のようです)。そして、いろいろな話をしながら、食卓を囲みます。(授業のようです)。

首藤先生は、「8月22日に、千葉市の小中学校の先生向けに、『国語を楽しく』の講演会をおこなう。10月8日には、北海道の釧路で、読解と読書の講演会をおこなう。あと、読解の本を1冊、書かなければと思っている」ということでした。

次に、テキストの37ページの第2段落を読みました。「きちんとしたフォニックスを擁護する人と、全体のなかで単語を教えること(前後法)を擁護する人のあいだでは、広く議論がおこなわれてきた」、「ただ、フォニックスと、児童に本物のお話を読ませることを、いっしょにやってきた教師もいる」ということでした。

なるほどと思いました。私が大学生の頃、教育の法則化運動というのが流行って、個に寄りそい援助する教育と、対立するように論じられたこともありました。ただ、いま周りを見ていると、多くの教師は、両方のよいところをとりいれながら、授業をつくっています。教師のバランス感覚は、わりと信じていい気がします。

感想と質問の時間では、「解釈は、個々でよいというのは、わかる。ただ、テストでは、ひとつの解釈を選ばなければならない時もある。明らかにそれた解釈もある。教師は、それにどう対応するべきか」という質問がでました。

首藤先生いはく、「まず、正解には幅がある。そして、その時その時の個人の解釈は、人生そのもので、否定されるべきものではない。教師が自分の解釈を語るのは、構わない。古典の語句の意味とか、まちがいを指摘するのも、OK」

「よくないのは、教師が問いをたてて、長い時間をかけて、自分の解釈へと、子どもたちを誘導すること。それから、底力をつける授業と入試対策は、別々に両方すればいい」ということでした。

楽しい学びの時間でした。