3月18日は、「言語教育研究会(ケネス・グッドマン原書講読会)」の第13回研究会がありました。千葉大学名誉教授の首藤久義先生を囲んで、Kenneth Goodman の『What’s Whole in Whole Language?』を読んでいく研究会です。参加者は10人。
はじめて参加された方が、2人。千葉大学大学院を修了されて、中学校で教えている方。短期大学で、幼稚園教諭養成に携わっている方でした。
研究会では、最初に、テキストの18ページを読みました。「子どもたちを、間違いをすることから遠ざけるのは、彼らを不安にして、彼らの最高の発達を阻害する、確実な方法だ」ということです。
また、首藤先生の「子どもの間違いを直すのが、教師の使命だと思っている人がいる」という発言を聞いて、どきりとしました。
それから、「教員養成校において、教育実習の対策をどうするべきか」というテーマから、議論が盛りあがりました。「指導案の書きかたなどを教えるべきでは」、「大学では、思想などを学ばせることが、もっと大事では」、「現場では、いくらかの技術をもっている先生がほしい」など。
養成校の教員、現場の管理職や教員、元・学生や大学院生など、さまざまな立場から、意見が出てきました。面白いなあと思いました。
研究会の後半は、首藤先生が、イタリアのレッジョ・エミリア教育の創設者のひとり、ローリス・マラグッツィが作った詩、「子どもたちの100の言葉」について、イタリア語、ドイツ語訳、英語訳、日本語訳の4つをくらべながら、説明してくれました。
「子どもたちは、100の世界(可能性)をもっている。でも、そのうちの99は、学校や文化が奪ってしまう」という内容でした。
日本語訳があると、ついそちらから読んでしまいますが、できるかぎり原語にあたることも大事だなあと思いました。
「レッジョ・エミリア教育」は、はじめて知りましたが、イタリアのレッジョ・エミリア市発祥の幼児教育実践法ということです。1991年に、「世界で最も優れた10の学校」に選ばれた学校が実践していたことから、世界的に有名になったとか。
関連資料も読んだのですが、「子どもたちの興味を大事に、アートを多用しながら、教育や芸術の専門家の助けも得つつ、プロジェクト学習を進めていく」というのは、いいなあと思いました。
また、「教師は、しっかりとした観察者であり、記録者であり、子どもたちの学習の過程におけるパートナーである」というのを読んで、なるほどと思いました。
研究会の最後は、首藤先生の論考、「子どもはどのようにして文字を習得するの?」(フレーベル館、『保育ナビ』、2012年9月号)について、解説してもらいました。
「幼稚園から、文字を排除する必要は、まったくない。言葉は、教えるから学ぶのではなく、生活のなかで、自然に学ぶもの。プロセスを大事に」ということでした。
楽しい学びの時間でした。