かなり前ですが、12月21日(日)は、「言語教育研究会(ケネス・グッドマン原書講読会)」の第61回研究会がありました。千葉大学名誉教授の首藤久義先生を囲んで、Kenneth Goodman の『What’s Whole in Whole Language?』を読んでいく研究会です。
ZOOMでの開催。参加者は、7人。新しい参加者は、いませんでした。
最初に、近況報告。「栃木日光市の倉澤栄吉先生のお墓参りにいった」という報告が、複数ありました。首藤先生は、「花坂歩さん(大分大学)とのやりとりのなかで、『発達保障論批判―強要しない支援』の論考をまとめた。反響があった」ということでした。
次に、テキストの41-42ページを読みました。「読み書きのある環境で育った子どもたちは、学校に通う前から、すでに読み書きができる」とありました。「そういえば、黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』は、子どもでも読めるように、漢字にふりがながふられていたなあ」と思い出しました。
また、「教師は、読み書きの活用力の発達を、観察し支援する。一方で、学習者は、意味の伝えあいに集中する。だから、読み書きの授業では、2つの目標が存在する」ということでした。首藤先生いはく、「これは、単元学習の2つの課題・側面でもある」ということでした。
後半の感想の交換と質疑応答では、「最近、『教師』という用語ではなく、『ジェネレーター』、『ファシリテーター』、『学習サポーター』といった用語を使ってはどうかと模索している」という発言がありました。たしかに、演劇教育でも、「ファシリテーター」という用語を使う人が増えています。
また、参加者がそれほど多くなかったので、首藤先生の読書法について、訊きました。「好きなときに、読みたい本を読む。図書館も使う。活字はスクリーンでもいいと思う。ベストセラーとかには、影響されない。学生に、課題図書を出すのも嫌い。自由に読みたい」ということでした。
楽しい学びの時間でした。