「言語教育研究会」 第44回研究会

投稿者: | 2023年3月5日

2月26日(日)は、「言語教育研究会(ケネス・グッドマン原書講読会)」の第44回研究会がありました。千葉大学名誉教授の首藤久義先生を囲んで、Kenneth Goodman の『What’s Whole in Whole Language?』を読んでいく研究会です。

ZOOMでの開催。参加者は、9人。新しい参加者は、いませんでした。

最初に、近況報告。首藤先生は、「『国語を楽しく』が好評で、2刷となった。フェイスブックの投稿でも、『いいね』が、200個ついた。知らない人の出会いも、広がっている」ということでした。

また、「フェイスブックにも書いたけれど、『ルーブリック評価』(学習到達度を示す評価基準を、文章で示した観点と尺度からなる表として示したもの。おもに、課題における学習者のパフォーマンスの質を評価するためのツールとして、使用される)が流行しているようだけれど、僕は否定的。授業のためのルーブリック作成は、くたびれもうけの骨折り損であるだけでなく、無益・有害」

「『メタ認知』(知覚する、記憶する、思考する、判断するなどの認知活動を客観的に理解し、それらの活動を評価したり制御したりする働きのこと。教師の声かけ、学習者の授業のふり返りなどをとおして、評価と自己調整がされるといわれる)も、流行しているようだけれど、僕は否定的。人間の認知活動は、簡単にまとめられるものではない」ということでした。

次に、テキストの36ページを読みました。「標準化された読みのテストは、『読むことが、簡単に系統化して測定できるサブ・スキルにきちんと下位分類できる』という仮定にもとづいている」

「技術化の焦点として、テストを信仰する人たちは、『読みを学習することは、細切れのテストで、よりよい点をとることを意味する』と思っている」ということでした。

首藤先生いはく、「紙のテストは、公平で簡単だが、国語の授業の1割くらいしか、測れない」ということです。

なるほどと思ったのは、「欧米の学校では、『読みの学習』と呼ばれているものが、日本では、国語教師が担当する『読解指導』と、図書館司書が担当する『読書指導』に、分かれてしまった。両者が協同することは、少なかった」という説明でした。

「カナダの初等学校で、教室にたくさんの本が並べられていたり、大村はま先生が、中学校の図書室で国語の授業をしていたのは、『読みの学習』を目指していたのか」と、腑に落ちました。

その他、感想と質問の時間では、「昔は、もっと自由に、したたかに、自分のしたい授業をする教師がいた。失敗が、許されていた」、「いまは、若い教師が忙しくなった。また失敗をすると、すぐにSNSなどで叩かれるので、学習指導要領や赤本どおりに授業をする教師が増えている」という意見がでました。

楽しい学びの時間でした。