「言語教育研究会」 第14回研究会

投稿者: | 2017年5月13日

5月7日は、「言語教育研究会(ケネス・グッドマン原書講読会)」の第14回研究会がありました。千葉大学名誉教授の首藤久義先生を囲んで、Kenneth Goodman の『What’s Whole in Whole Language?』を読んでいく研究会です。参加者は10人。

はじめて参加された方が、1人。東京大学で教育と哲学を学び、いまは敬愛大学で英語教育を教えている方でした。

研究会では、福島のお菓子などを食べながら、テキストの18-19ページを読みました。「どのような段階においても、言語を構成する部分や技術は、全体的な経験の外では、学習されない」、「学校は、しばしば言語を、意味ある機能の使用から、遠ざけてしまう」ということでした。

首藤先生いはく、「そのとおり。僕は、『場の理論(活用から習得へ)』が、大事だと思う。手紙を書かせる場合も、『挨拶からはじまって、冒頭の文があり、正式な終わりかたがある』と教えるよりも、実際に必要な手紙を書かせるべき。そのさいに、豊富な文例を提供すればよい」

ただ、「たとえば、外国語学習で、ある段階で、整理も兼ねて、基礎基本や文法を学ぶことも大事では」と訊くと、「活用したうえで、必要に応じて、文法などをみるのはいいと思う」ということでした。

参加者のひとりが、「子ども向けのピアノ教室は、指の動かしかたや五線譜の読みかたからはじめる。ただ、大人向けのピアノ教室は、好きな曲を、まず1曲弾くことからはじめる。段階によって、いろいろなはいりかたがあるのでは」と言っていました。なるほどと思いました。

それから、「『メタ認知』という言葉が、教育界における流行語のように使われているけれど、次々と新しい言葉を生みだして使う必要があるのか」というテーマから、議論が盛りあがりました。

「大学院では、自分がしっかりと理解して、定義づけられる用語しか使わなかった。ただ、現場では、研修などを通じて、よく使う」、「新しい用語を使っている人のほうが、勉強をしているように思われる」、「自分は、よくわからない用語は使わない」など。

「研究会などでよく使われる、新しい用語は、だいたいの意味を知っていることは大切だろう。でも、自分が書くものには、本当に理解している用語のみ、使っていこう」と思いました。

楽しい学びの時間でした。