かなり前ですが、昨年の12月21日は、「言語教育研究会(ケネス・グッドマン原書講読会)」の第29回研究会がありました。千葉大学名誉教授の首藤久義先生を囲んで、Kenneth Goodman の『What’s Whole in Whole Language?』を読んでいく研究会です。
参加者は8人。新しい参加者は、イギリスのエセックス大学や都立大学の大学院で、社会学を学んだ方でした。首藤先生の奥様の同僚とか。
最初に、自己紹介。次に、休憩をはさみながら、テキストの28-29ページを読みました。「教えるという視点」についてでした。いくつか引用すると、
「ホールランゲージの教師は、自分たちをプロフェッショナルだと思っている」「プロとしての能力と知識を、使う余地が与えられることを期待している」
「ホールランゲージの教師は、基礎読本、ワークブック、系統学習などを、受けいれない。そのかわりに、テーマ単元で、児童文学作品を使ったりする」「到達目標のあるプログラムとも、相容れない」
「ホールランゲ―ジの教師は、子どもたちと自分のプロ意識のために、ある教材やプログラムを、拒否する権利と義務をもっている」ということです。
首藤先生いはく、「教科書を利用して、縛られないというのが、処世術」「ドイツの教師は、6割しか、教科書を使わない」「E-learning は、ホールランゲージと真逆かもしれない」とのことでした。
また、「ラーメンを、1本1本食べても、おいしくない。ズルズルとすするのが、おいしい」という言葉も、印象に残っています。
最後の感想と質疑の共有では、私が麹町中学校の実践について、みなさんの感想を訊きました。「定期テストの廃止もいいが、単元テストの準備は大変だろう」「複数の担任制もいいが、内申書や所見は、誰が書くのか」といった意見が出されました。
その他、大村はまの実践(首藤先生いはく、「大村は、先に全部用意している。芦田恵之助やグッドマンは、後追い」)、図書館での経験(いろいろな人がくる。学校の教員は、結構まともで、もっと尊敬されてもいいのでは)などの共有もありました。
楽しい学びの時間でした。