「言語教育研究会」 第27回研究会

投稿者: | 2019年9月15日

ちょっと前ですが、8月31日は、「言語教育研究会(ケネス・グッドマン原書講読会)」の第27回研究会がありました。千葉大学名誉教授の首藤久義先生を囲んで、Kenneth Goodman の『What’s Whole in Whole Language?』を読んでいく研究会です。

参加者は8人。新しい参加者は、小学校の教員から、いまは図書館勤務をしている方でした。

最初の2時間は、テキストの28ページを読みました。「読み書きは、ダイナミックで、建設的な過程である。読み手は、書き手のテキストを理解するために、自分の知識や価値や経験をくわえていく」ということです。

首藤先生いはく、「たとえば、『牛』という言葉から、多くの人は、白と黒のまだらの牛をイメージするけれど、黒い牛や赤い牛をイメージする人もいる」ということでした。

「読みは、推論と再創造。頭の中で、映画をつくるようなものかもしれない。脚本が同じでも、監督によって、映画は変わってくるでしょう」。なるほどと思いました。

また、「テキストは、本物でなくてはならない。語彙表やフォニックスの順序にあうように、作りあげるべきではない」とありました。

首藤先生いはく、「日本の学校の英語指導助手に、フォニックスを教える人もいるけれど、あれはよくないね」ということでした。

次の2時間は、お団子や京都のお土産の八つ橋を食べながら、自己紹介と近況報告、質疑応答でした。

「学校の国語の授業を変えるには、学力テスト、高校や大学の入学試験を変えるしかないのでは」という問題提起がありました。

首藤先生いはく、「国語のテストや入試は、なくていいと思う。国語は、内容教科でなく、実技科だからね」ということでした。

その他、探求する(調べる)ことについて、書写の授業の臨書の是非についての説明もありました。首藤先生いはく、「探求すると、時間がかかるけれど、新たな気づきもある」、「臨書は、基本的に反対」ということでした。

楽しい学びの時間でした。