ちょっと前ですが、10月13日は、「言語教育研究会(ケネス・グッドマン原書講読会)」の第22回研究会がありました。千葉大学名誉教授の首藤久義先生を囲んで、Kenneth Goodman の『What’s Whole in Whole Language?』を読んでいく研究会です。
参加者は6人。新しい参加者は、なし。(ちなみに、前回の研究会は、中国滞在と重なっていて、私は欠席でした)。
研究会は、私の中国報告からはじまりました。参加者のなかに、学生時代に1年間、中国に留学していた方がいて、その体験談の共有もあり、話が膨らみました。
前半は、テキストの25-26ページ、「学校:ホールランゲージの見方」を読みました。「学校は、楽しいところであるべき。子どもたちは学びを楽しみ、教員は教えることを楽しむべき」ということです。
そして、「ホールランゲージは、このような学校に対する肯定的な見方にくわえて、人間的および科学的な考え方と理論によって、支えられている」と続きます。
後半は、質問と話しあい。興味深かったのは、授業中の読みにおける、子どもたちの感想(感動)の取り扱いでした。
向山洋一の分析批評は、「感動は教えられない」というところから、はじまっているそうです。斎藤喜博の揺さぶりでは、「発問によって、感動したような気持ちにさせる」ということ。
首藤先生は、どちらにも賛成できないようで、「授業でも、感動にふれることは、いいと思う」ということでした。私は、「授業で、子どもたちが感想を共有することは、意味があるのではないか」と思いました。
それから、「まず読みかたを学んで、次に学ぶために読む。そういう考えかたは、まちがっている。両者は同時に起こるし、それぞれ支えあっている」という記述について、「本当にそうだろうか」という質問がでました。議論が、盛りあがりました。
そのほか、授業での子どもたちの感想の引きだしかた、カナダや日本の教員の給与についての情報交換もありました。
楽しい学びの時間でした。